パパ読ンデ

光を越え、事象の地平面で逢いましょう

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独り立ち

妻の母が亡くなり、

その夫である義父はかなり気落ちしていました。

しかし妻の遺志を想い、

悲しんでいるだけでは故人も喜ばないだろうと

日に日に快活になってきています。

義父は義母の実家に暮らしているのですが、

そこには義母の弟も同居しています。

言わば叔父なのですが、

彼は結婚もせずに、

すっと老いた母親の面倒を看てきました。

以前は、同じ家に暮らしているのに

義父と叔父の間に会話も無いほど、

二人の間はうまくいっていませんでした。

ところが妻に先だたれてからは、

義父は叔父とも会話をするようになり、

先ごろ「これからも一緒にがんばろう」

と語りかけて叔父を困惑させていたそうです。

義母の死をきっかけに、

二人が仲良くなりお互い成長したとしたら、

これほど義母の供養となることはないでしょう。

だから私はその話を耳にして、

素晴らしく心が温まりました。

ところが娘である妻は義父の改心に懐疑的なのです。

妻は小さな頃から、

気分屋だった義父に振り回され、

苦労していたそうです。

機嫌がいいと思って安心していると、

いつの間にか不機嫌になった義父に

理由もなく拳骨を喰らっていたようなのです。

怒られる根拠や基準がないのですから、

子供にとっては気の休まる父親ではなかったかもしれません。

そんな子供時代の脅えが、

今の妻にも名残を留めています。

だからその疑念も理解はできます。

でも過去に囚われてはいいことがないと思うのです。

以前にそうだったからと言って、

これから義父が素晴らしいお父さんにならないとは限りません。

この世界に変化しないものはないのですから。

人はこの世に生を受けて、

最初に出会った両親に執着をもってしまいがちです。

何も知らないうちから長年養育され、

少なからず愛情を注がれるのですから、

子供からすると絶対的な存在と感じてしまうのでしょう。

しかし親と言えども、それは他人です。

たまたまそこに生まれて育ててもらった大人に過ぎないのです。

親は子が幸せになるよう援助はできますが、

そうなるかどうかは子供の考え次第であり、

それについて親は責任を取ってはくれません。

こうして欲しい、ああして欲しい、

そんな欲求を他人に満たしてもらっても、

心からの満足は得られません。

それは親だけでなく配偶者や子供、

会社、国にもいえることです。

自身の生き様、境涯は、

誰あろう自分しか処理することができません。

自分を幸福にするのは自分、

そうでなくするのも自分。

それなのに他人にできる筈のない、

自分の幸福を要求するのは、

木の上に魚を獲ようとするようなものではないでしょうか。

一人の人間として何にも掴まらずに起立して、

改めて父親を俯瞰できたとき、

妻の脅えた少女は慰められるのでしょう。

いつか義父と義母の娘から卒業し、

晴れて自らの両足で大地に立ったとき、

妻は自ら幸福を掴むのだろうと

私は期待しています。














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  1. 2011/04/23(土) 00:09:31|
  2. 人間ライフ
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